あの時の言葉の意味
9/13 水曜 スプタクルマでガッツリ足を組んでもらって、不調を忘れるほど気持ちよかった。ここで先生のエネルギーを貰ったような、貰えるような気がしたけど、、、そおはいかず。
今日はセカンドする気力はゼロ。不調は増しに増している。バックベンドでマットを後ろにズルズル〜と引き下げてオープナーをしつこく念入りに楽しんだあとは、しっかりアジャストをしてほしいです。。と、希望を伝えて、フルアジャストでバックベンドを終了。
頑張る気持ちはあるのに何も出来ない。もう元気だし、体の痛みはどこにもない。わたしはサボっているような気がして今日はションボリしそうになった。不調なときも波もある。太陽礼拝で充分。言い聞かせてるだけだったのかな、、、自分のことを認めてあげれないモヤっと感。みんな色々あるけど生活を整えてシャラに通っていたりオンラインを繋いだり、朝から練習、頑張ってるのにな。
マットを後ろにさげてシャラを見渡してみる。後ろのテレビのオンライン画面も、ジーッとみた。
練習する、みんなのその姿を見ながら、わたしは色々考えだし、大きくわたしにバツをつけた。絶好調のために練習してわけじゃないこと、アーサナ完成のために練習してるわけじゃないことも理解してるのに、、、、なのに私に◎をあげることができない。これ、いつまで続くんだろう、、珍しく少しションボリして練習を終えることに。
トボトボ更衣室にいったら、練習を終えて仕事へ行く準備をしてるかたが2人、変わらず世間話をして、先生や練習生のかたとコーヒー飲みながら話をしていたら、悲しくなっていた気持ちは、まぁまぁ簡単に吹っ飛んでいった。
練習〜、力ないやん!先生のいつもの迫力がないし、気合い、体力〜、どこいったん?!笑。
ブログ読んだけど心配やわぁ〜(優)いつもメラメラ最後の最後まで燃えてるのに〜笑。別人やで笑。愛のある冗談に、いっぱい笑わせてもらう。
あきえさんは、もう終わりですね、、と言って、笑いとばしてくれる先生、ふざけた会話が、今日も平和だ、しあわせだな、と、思った。
ゆっくり戻そう、、、
結局、いつも人に、周りに、支えてもらって助けてもらってる。不調を心配してメールをくれたり、シャラで声をかけてくれたり、不調を騒ぐつもりじゃないんだけど、ごめんなさい。って気持ちにもなった、これを読んでくれてるひと達が、以外にも、こんなに近くにたくさん居てくれてることにも気づいて、とっても嬉しい気持ちにもなった。
友人からのメール
『 元気があっても出来ることと出来ないことがあるよ。あきちゃんは自分自身にも感謝をしてね、
はなちゃん喪失のこと、コロナ後のこと、今は、ゆっくりと休息や睡眠が必要だから、時間をかけて焦らずに静かに待とう。一緒に、わたしも待つよ。 』
善友、、わたしも誰かの心の支えになりたい、そんな言葉をかけれる人、相手に寄り添えるひとになりたいし、とっても憧れる。明日は恋人のような、その友達に、やっと会える日。
アシスタント、シャラのお掃除を終えて、もちろん寄り道なくマッハで直帰した。
ここを出たら、だいたい一刻も早い帰宅をめざす。それもわたしの練習のための大切な練習だったりする。ここに通うために、やること整えることは、いっぱいある。
午後は時間ができたので本を読みすすめた。
綺麗な言葉たちは生きているみたいで、文章から色んなことが想像できて風景がうかんだ。想像力がマックスに働き心が掴まれる、ロマンチックなわたしは切なくなったり温かくなったり柔らかい気持ちになったりキュンキュンした。色眼鏡があって、正しく物事が見れないなら、どうせフィルターをかけるなら、優しい目で物事を見て人と関われたらいいのに。そんなフィルターがほしい、わたしも美しい言葉をいつも選びたいなぁ、と真剣に思った。
随分と昔、ある先生に、あきえさんの見える景色が、きっと色濃く変わります。世界が輝き、さらに美しいものになりますように。と言われたことがある。(10年前ぐらいのワークショップ。)
その時は、ふーん、そっか継続してたら色々変わるのかなぁ? 景色が変わるんだ?自然が好きになるのかな〜笑。ぐらいに考えていて、ボンヤリしていたけど、今は、はっきりとその意味が分かる。
わたしの心が変われば、理解となれば、わたしの周りも見え方も、世界も、見上げる空さえ、すべてが変わるとゆう意味だった。見るものすべてに敬意がもてるようになり、見るものすべてが、あまりに美しくて、そこにも、わたしの中にも、神様が見えるようになる。
いつもの寝る前の儀式、小さな10の感謝、今日は周りにではなく、わたし自身に向けてみようかな、と思えた。いつも気づかせてくれるのは、熱くて一生懸命に生き抜こうとしている人たち。身を置く環境は大切だと思う。
読書の秋になりそう。